37『迫る同族の影』 影に背を向けて、光に向かって走っても、 後ろを振り返らず、ただひたすら光を求めても、 その背後には常に影が付いてきている事実は変わらない。 どうすれば影は消えてくれる。 どうすれば光に手に入れられる。 どれだけ影を消そうと試みても、 光がある限りそれは消えることはない。 影と向き合い、受け入れること。 それが光を手に入れられる、ただ一つの道なのだ。 「いい調子だ」 完成直後の魔導レーサー“ジーフォリオン”の運転席にて、魔導レーサー開発班の主任付き助手兼ドライバーだったガナンは、赤いツナギにヘルメットをかぶり、どこまでも真直ぐ伸びて行く道を見据えてアクセルを踏み締めて呟いた。 全開走行は初めてだが、感覚からすると順調のようだ。この間までは、加速力、最高速度、ハンドリングなどの性能のバランスがどうしても決まらなかったのに、今はまるで一つの生き物として生を受けたかのように自然な走りで、力強く加速して行く。 ここまで加速すれば、もうどんな乗り物でも追い付くことはあるまい。 性格的に考えて、自分達の考えを理解してもらえそうになかったので、残念な別れ方になったが、あの主任はやはり優れた技術者だったらしい。 ふと気配を覚えて、バックミラーを覗いたガナンは思わず目を丸くした。彼の駆る“ジーフォリオン”の後方に、砂埃を上げながら走る巨大なサソリの姿が確認できたのである。かなり離れた位置ではあるが、驚いたことにそれ以上離れない。 その事実の意味することはただ一つだけである。 (この魔導レーサーと同じスピードで走っている!?) この世には魔導レーサーより速いものは存在しない。魔導レーサーに対抗するには魔導レーサーしかないはずだった。しかし後ろに迫っているのはそんなものではない。ただの騎乗用のサソリである。こんなことがあり得るのか 「流石に速いスねぇ……なかなか追いつけそうにないスよぉ」 遠く離れた場所を走る魔導レーサーの姿を見遣り、コーダは呟いた。言葉とは違い、表情は随分と嬉しそうだ。 彼が速さに魅了されたのは、ある集団から逃走していたときだった。速さに融けるように流れて行く周りの景色、普段では感じることのない見えない大気の壁、そして普段は遠く歩けば何時間か掛かりそうなところへもあっというまに着いてしまう感覚。全てが彼を虜にした。 ただ、残念なことは競争相手がいないことだった。走ることそれ自体は楽しいが、やはり競争相手がいると張り合いが違う。しかし魔導列車にも勝ってしまった後は彼より速いものが無くなってしまっていた。魔導レーサーの存在は知っており、いつか競争をしてみたいと思ったものだが、魔導レーサーは公道では走らないので適わないことかと思っていた。しかし、こんな形で適うとは。 データ上、最高速はあの魔導レーサーのほうがわずかに速いが、それでも着いて行けているのは、おそらくサーキットの完璧に整備された道路と公道の違うというところだろう。ちなみに《シッカーリド》はどちらかというとオフロード専門なので、道路など無視し、ずっとその脇を走っている。 魔導レーサーの最高速はさすがの《シッカーリド》の及ぶところではないが、魔導レーサーとていつでもそのスピードで走れるわけではない。限界に近い速度で走っている分、ちょっとしたことで、速度は極度に落ちる。 そのスピードの安定度という点に関しては、コーダの《シッカーリド》は魔導レーサーより遥かに勝っている。これが、魔導レーサーに追い付く鍵となるだろう。 一定の距離を保ったまま、なかなか近付けない魔導レーサーの後ろ姿を見据えながら、コーダは冷静に考えた。 道路は基本的に直線であるが、エンペルファータからフォートアリントンを繋ぐ、この道路は違う。その途中に湖があるため、それを迂回するように緩くカーブを描いているのである。 普通に走る分ではスピードを落とすほど、鋭い曲がりではないのだが、限界走行状態の魔導レーサーにとってはそれでも十分きつく、かなりスピードは落ちるだろう。しかも、オフロードを行ける《シッカーリド》はそのカーブをショートカット気味に走ることができる。 (しかしこの距離じゃ、それでも足りないか……) 競争相手がいることに少なからず喜びを感じているのはガナンも同様だった。彼は元々魔導レーサーのドライバーである。いわばこういった競争に魅入られ、その道のプロとしてハンドルを握っている人種なのだ。 反面、計画のこともあるため、追い付かれたらと思うと気が気でない部分もあるのだが。 初めは驚きで満ちあふれていた頭も、今は随分冷静になっている。 (あれは魔法だ。どんなものかは知らないが、魔法によってサソリがあそこまで速くなっているのだ) そう納得してしまうと、相手の泣きどころも見えてくる。 今のところ直線のスピードは互角。突き放すことは出来ないが、追い付かれることもない。競争と決めて行っているものではないこの競争にゴールはないので、これはどちらかが諦めるかの勝負。となると問題になるのは耐久力だろう。 わけが分からないが、サソリをあそこまで速く走らせるのは並大抵の技ではない。その魔法を長時間維持するのは無理だろう。魔力はともかく魔導を行うための精神力が持つまい。対してこちら“ジーフォリオン”の走行のための魔導はすべて搭載されている魔導器が行うために、精神力に関しては心配はいらない。魔力が切れる恐れもあるが、フォートアリントンに着くまでは十分に持つ。 焦ることはないのだ。 そう思い直したところで、あるものが彼の目につき、ガナンは思わず舌打ちした。 彼にとって、もう一つ不安な要素があった。一般車の存在である。滅多に通ることがないとはいえ、通る車があるからこそ道路がある。だから、一般車の交通はあり得ないことではないのだ。 当初、一番の心配は一般車の存在だった。そのスピード故、小回りが利かないので、車一台追い抜くのにも一々スピードを落とさなくてはならない上、曲がり過ぎてコースアウトなどをすれば、ひとたまりもなくクラッシュしてしまう。 その一般車が今現在、“ジーフォリオン”の前方を走っているのだ。 流石に一般の汎用魔導車と、魔導レーサーでは勝負にならず、ほとんど対抗車のような勢いで前方の一般車は迫ってくる。 ガナンは慎重にハンドルを切りその一般車を右側から追い越すが、その際、スピードメータに目をやり、眉根を寄せる。次にバックミラーを見て、その表情は更に曇った。 先ほどまで随分と離れて感じていたサソリが、その距離を半分近くまで縮めていた。 距離と共に、ガナンの心の余裕は確実に削り取られていた。 ガナンとは対照的に、不確定要素である一般車の存在によって、追い付く公算が立ったのがコーダである。 彼は元々道路の傍のオフロードを走っているので一般車がいようが魔導レーサーが走っていようが関係ない。よって、そのまま最高速を維持したまま、追い抜きのために失速した魔導レーサーとの距離を大幅につめることが出来た。 (よし、これで湖のカーブで絶対に追いつける) 既に彼等の右手前方には湖らしきものが見え、道路が僅かずつ左に曲がりはじめている。 コーダはその道路にはわざと離れ、やや右寄りに走る。流石に湖が邪魔になり、直線で走るわけには行かないが、道路の上を走らなければならない魔導レーサーよりずっと小さな曲がりでショートカットをすることができる。 じりじりと、左前方を走る魔導レーサーが左横へと移動して行く。魔導レーサーのドライバーの腕も相当なもので、このカーブによるタイムロスを少しでも減らそうとカーブの一番内側を走っている。 あのスピードでそこまでコントロールできるのも大したものだが、コースアウトすればオフロードの地面の凹凸を大きく拾って横転したりしてしまうところを、よくあそこまで際どいコースがとれるものだ。 右手の湖が途切れて間もなく、左側にあった道が《シッカーリド》に向かって近付いてくる。カーブが後半に入り、元の直線に戻ろうとしているのだ。 そして、直線に入った時、《シッカーリド》と魔導レーサーが横一線に並んでいた。それを横目で確認したコーダはよし、と頷く。 しかしコーダは気が付いていた。ここで本当に問題になるのはどうやって追い付くかではないことに。 近付かれた時は焦りを感じたものだが、横一線に並ばれても、ガナンは自分でも意外なほどに平静を保っていた。追い付かれ、追い抜かれたところで、あまり意味はないからである。 そう、あのサソリがこの“ジーフォリオン”を追っているのはおそらく積んである“荷物”、即ち“滅びの魔力”を保持する少女を取り戻すためだ。追い付き、追い抜いたところでそれは達成されない。そのためにはこの“ジーフォリオン”を止めなければならないのだ。 しかし、それには問題が生じる。止めるだけなら、体当たりでも何でも仕掛けてくればいい。それが出来ないのは“滅びの魔力”の少女という人質がいるからだ。つまり手荒な手段は一切使えない。この人類の限界に挑戦するスピードで走る“ジーフォリオン”は既に巨大な慣性エネルギーを帯びている。下手に止めれば大クラッシュ、“滅びの魔力”の少女もろとも吹き飛んでしまう。 ガナンはちらりと“ジーフォリオン”のすぐ右を走るサソリを盗み見た。その際、その御者席に座っている男がこちらを向いているのが見えた。 褐色の肌に白髪、砂漠特有の衣装を着ており、目には風防としてゴーグルを着用している。その唇は堅く引き延ばされ、眉根は緩く寄せられており、あちらもこの問題に気がつき、思案しているようだ。 (さあ、どうする?) 一旦追い付いてしまうと、コーダからは先ほどまで感じていた競争の高揚感は失せていた。代わりに、このスピードで走り続けていたことに対する疲労が表れ、この状態を長く続けられないことに焦燥を感じはじめた。 《シッカーリド》はコーダの召喚獣であり、一個の独立した生命ではない。魔力で創り上げたそれを維持し、ここまで常識はずれなスピードで走り続けさせるのには、それ相応の魔力がいる。そしてコーダの内にあるそれは、決して無限ではないのだ。 それがきれない内にどうにかして真横を走る魔導レーサーを止めなければならないが、その方法が思い付かない。 タイヤを撃とうにも、そんなことをすればあの魔導レーサーは激しく横転してしまうだろうし、体当たりをしても同じことである。《シッカーリド》のハサミで抑えようとも思ったが、このスピードで走っている中で《シッカーリド》にこれ以外の行動をとらせるのは無理だろう。第一失敗すればやっと手の届くところまで近付いた魔導レーサーにまた引き離されてしまうだろう。そうなれば、もう追い付く自信はない。 何とか出来ないだろうかと魔導レーサーを観察していると、あるものの存在に気が付いた。魔導レーサーの後部にむき出しになった魔導器である。魔導レーサーは軽量化の為、あえて耐久性には目をつぶり、そのように内部機関がむき出しになっていたりするのは良くあることだ。 コーダは頭の中から魔導レーサーの基本的な構造の情報を引き出し、参照してみた。それによると、むき出しになった部分は魔力の供給を受け、推進力を発生させる、いわば魔導レーサーの心臓部のようなものだ。 その魔導器自体には何も出来ないだろう。心臓部なだけに、魔力コーティングはされているだろうし、下手にいじればどう誤作動したものか分からない。しかしコーダが注目したのはその魔導器に接続されている管の一つだった。 たくさん付いている管の中でもそれは一際太いのは、十中八九その魔導器に魔力を供給する管だろう。あれを切断すれば燃料切れでも起こしたように穏やかに止められる。 方法は決まった。 となれば、あとは行動あるのみである。 コーダは《シッカーリド》のスピードを少し落とし、魔導レーサーの後ろ側に回り込んで、目標の管を狙いやすい位置に付く。 足をしっかり固定されているのを確認すると、コーダは手綱を離し、右手の親指と人さし指で銃のような形を作り、左手をその手首に添えた。 「光よ集え、指先に! 我が指し示すは小さな点、その先に広がるは大きな未来!」 呪文の詠唱と共に、彼の人さし指の先に光が集まり、凝縮して行く。 小さいが強い光を指先に宿したまま、コーダはしばし狙いを定め、精神を集中させる。そしてその引き金を引く代わりに、呪文の詠唱を終了させる。 「《狙撃》」 その言葉と共に、光は光線となってまっすぐコーダの指し示す先に伸びてゆき、コーダの狙い通り、その光は魔力の供給管を撃ち抜き、断ち切った。 断たれた供給管からは魔力が漏れて行き、空気中に霧散して行く。それにともない、魔導レーサーのスピードも目に見えて落ちて行き、やがて静かに止まった。 完全に止まった後、赤いツナギを着けた男、ガナンが車の中から飛び出し、急いで後部座席に駆け寄った。しかし、その動きはコーダによってもう一度放たれた《狙撃》の光線がガナンの目の前を掠めた事で阻まれる。 「フィリーさんを人質にしようというつもりなら、今度は頭を撃ち抜きやスよ?」 穏やかな口調で諭すように言ったコーダの指はガナンの頭に向けられており、いつでも発射できるということを示しているかのように、指先には小さな光が灯っている。 《シッカーリド》の上でチェックメイトを宣言するコーダを、ガナンはしばらく憎々し気に睨み付けていたが、ある瞬間、ガナンはその顔に不敵な笑みを走らせた。 「これで終わりだと思うなよ? こちらも邪魔をされたりすることは想定済みだ。無論、そのための対策もある」 そういって、ガナンは着けていたツナギの上の部分だけ脱ぐと下から現れたタンクトップのみの上半身を見せつける。強い遠心力と、激しい荷重移動に耐えるためのレースドライバーらしい、みるからに強靱な肉体は確かに驚嘆に値するものがあるが、コーダを驚かせたのはそれではない。 両腕に施された刺青である。“烙印魔法”というものがある。本来正確な魔導が要求され、長い呪文が必要となってくる高レベル魔法を、体に魔導紋様を刻み込むことによって短い言葉で行使することが可能になる技術である。 ただ、余りにも安易に強力な魔法が使用可能になってしまうので、百年前まで頻発していた戦争では大量に刺青を施した魔導士が投入され、戦争の規模が拡大した上、術者自身の肉体と精神に多大な負担を掛けてしまうため、今では“全世界による魔法についての使用制限条約”によって使用を禁止されている。 コーダ自身ではないが、先日ファトルエルでの騒動の中で、カーエスとファルガールが“烙印魔法”を施した魔導士を相手にしたという話を聞いていたため、その存在は否応無しに思い出された。 コーダに動揺を生まれたが隙と見たか、ガナンは魔力を刺青に注ぎ込み、その紋様の力を発動させる。 「出でよ、《セディビート》っ!」 短い言葉と共に、その紋様は強い輝きを放った。コーダはとっさに《狙撃》を発動させてガナンを撃つが、輝きが止み、ガナンの目の前に“召喚”されていた背中に赤い殻をもつ巨大なムカデが《狙撃》の光線を防ぐ。 「さて、どうする? 見たところ、そちらのサソリは走るだけで戦闘能力はないように見える。だまって俺を行かせるなら、攻撃はしないでおいてやるが?」 上半身を立ち上げ、蛇のように首をもたげて巨大サソリ《シッカーリド》とその御者、コーダを見下ろす《セディビート》の横で、ガナンは不敵な笑みを崩さずに警告する。 が、次の瞬間、《シッカーリド》が眩い光を放ったかと思うと、どうみても騎乗用のサソリでしかなかった《シッカーリド》が、金属製らしい走行に覆われ、ハサミなども金属製になり見るからに戦闘に相応しい姿に変わった。尾の先は毒針の代わりにどんなものでも切り裂けそうな大鎌になっている。 「……これで満足か?」 そう声を掛けたコーダの声は恐ろしく低く響く。口調も変わり、視線もさっきまでとは違い、冷たく感じる。外見以外のありとあらゆるものががらりと変わり、先ほどまで表に出ていた柔らかく、呑気な雰囲気は全て消えてしまっていた。 コーダの豹変ぶりにガナンは少し驚いたものの、恐れはしなかった。サソリが変化したように、これがこの男の戦闘モードなのだろう、闘う時と普段の態度が全く違う人間は珍しいわけでもない。 「成る程……そっちも召喚獣だったか」 普通のサソリに強化魔法を掛けて操っているのかと思ったが、普通のサソリをベースにここまでするのはさすがに無理がある。 計画からは大きく外れて、追い付かれたうえに、武力抵抗されることが確定したというのに、ガナンは心が弾むのを隠さずにはいられなかった。ガナンは魔導士ではないので闘った経験はない。しかしレーサーであり、闘うことへの憧れはあった。 この計画に際し、この“力”を手に入れ、はじめてその凄まじさを目の当たりにした時、実際に使ってみたくて仕方がなかったのである。 「ならば遠慮は要らんな。行けっ!」 主の声に答え、巨大ムカデ《セディビート》はもたげていた首を大きく点に向かって伸ばし、仰け反ると、《シッカーリド》に向かって激しい炎を吐き出した。その大きな炎はあっさりとコーダの乗ったサソリを包む。 さらに《セディビート》は、持ち上げていた上半身を地面に降ろすと、燃えている《シッカーリド》にむかって一直線に突き進み、そのまま頭から体当たりする。足が沢山生えている分、力があるのは確かなようで、見た感じ、体当たりの衝撃はかなり大きいだろう。 「どうだっ!」と、ばかりにガナンは胸を張る。自分の持っている力の大きさが誇らしい。武力を持つということの素晴らしさが身にしみる。 が、流石にその異変には気が付いた。《セディビート》がずっとその体勢で留まったままなのだ。《セディビート》はガナンが命令しない限り、半自動的に攻撃を繰り返す性質なので、命令してもいないのに、あんな風に留まっているのは変だ。 次の瞬間、その異変の正体がおのずと分かる。《シッカーリド》を包み込んでいた炎も吹き飛ばされ、その中の様子が見られるようになったからだ。《セディビート》はあの炎の中、無傷でいた《シッカーリド》のいかにも強力そうなハサミに挟まれ、身動きが取れなくなっていた。 「少しは考えてから攻撃するべきだな。ムカデがサソリに適う訳がない」と、御者席からガナンを見下ろしていたコーダが、炎が燃え移ってしまった上着を脱ぎながら言う。 そして驚愕に目を見開くガナンの目の前で、《セディビート》は胴体から真っ二つに切断された。致命的なダメージを与えられた《セディビート》はその場に崩れ落ち、その体を構成していた魔力に還って、空気中に霧散していく。 コーダは《シッカーリド》から下り、労うようにその頭部を二、三度撫でてやると、強力無比だと信じていた自分の召喚獣が呆気無く消され、呆然としているガナンの傍をすたすたと通り過ぎ、“ジーフォリオン”の後部座席から棺にも見える大きな箱を運び出した。 その箱に刻まれた魔導紋様を見て、コーダは納得した。 「なるほど、魔力封じか」 魔導制御研究の第一人者であるミルドの作ったアクセサリーの質は疑いもなく最高のものだったが、それでも強力すぎるフィラレスの“滅びの魔力”は抑えきれない。この箱のように大きさを気にしなければ抑え込むことはできるのだが、それではフィラレスの自由は失われてしまうのだ。ミルドはそのことを気にし、小さくすることにこだわっていた。 ミルド製魔封アクセサリーの上にこのように大きさにこだわらずに作った魔封じの箱に押し込めればほぼ確実に“滅びの魔力”は封じられる。 その箱は鍵が掛かっていたが、鍵開けならば便利屋としてそこそこの技術を持っているコーダはあまり時間を掛けずに開けてしまった。その中でフィラレスは何事もなかったかのように眠っていた。おそらく、あの“滅びの魔力による癒し”で長時間集中しすぎたのだろう。 彼女の無事を確認すると、コーダは彼女を箱の中から抱え上げ、運んで行く。《シッカーリド》を普通の“運搬モード”に戻すと、座席に優しく彼女を寝かせた。 (これで、何とかみんなのところに帰れるな) そう考えると、先ほどから厳しく引き締まっていた顔が緩みはじめる。が、それも一瞬の事だった。 (……本当に、帰ってもいいのか?) コーダは再び表情を堅くすると、先ほどから全く動いていないガナンの方を振り返った。 《セディビート》が敗れた時、ガナンは激しい虚脱感を覚えた。信じていた力があっさりと破られたことに驚いているだけではない。《セディビート》を構成していた魔力は自分が持っている魔力の殆どであったため、それが一気に失われたことで失血にも似たショックを受けているのだ。 固定された彼の視界の中で、あの凄まじい力をも押さえ付けた男が、“滅びの魔力”の少女を運んで行く。そして、その男、コーダは何を思ったか、少女を今は運搬サソリになっている《シッカーリド》の客室にのせると、ガナンに近付いてきた。 「え……あ……」 近付くほどに大きくなる威圧感に、ガナンはつい口を開くが、言葉にならない声のみがこぼれるのみだった。 そんなガナンに、コーダは視線をあわせるように座り込んで話しはじめた。 「その“力”をどこで、どうやって、誰から、手に入れた?」 混乱している人間にも分かりやすく、一言ずつ区切って聞くコーダに、ガナンは首を振った。 「い、言えない」 “力”は無償では手に入れられない。自分達の事を絶対に喋らない。喋れば死ぬ魔法を体に刻む。それが彼に“力”を与えた者たちとの契約内容だった。 「その連中はこうは言っていなかったか? 自分の召喚獣が敗れた時、自分も死ぬと」 そのコーダの言葉に、ガナンは目を見開いた。それを否と受け取ったか、コーダは静かに告げた。 「生物の“召喚”はとてつもなく難しい。出来たとしてもまともに動くだけで精一杯だ」 それが何故、ガナンの召喚獣《セディビート》は火を吐いたりするなど、ふつうの生物にはあり得ない能力を持っていたりするのか。 それは術者が命を懸けているからだ。 それ一匹限り、それが死ねば自分も死ぬ。そういう風に設定し、契約を交わしているからこそ、持ち得た力だった。 「その様子だと、知らせられてなかったらしいな」 「な、何でお前がそんなことを」 知っているのかと聞こうとしたガナンははっ、と言葉を切る。 先ほどの説明に際し、コーダはガナンの《セディビート》にのみ触れたが、コーダの所有する《シッカーリド》も、否、《セディビート》をあっさりと破った《シッカーリド》こそ、異常なのだ。 事実に頭が付いて行かないガナンをよそに、コーダはガナンの頭を挟み込むように手を添え、呪文を唱えはじめた。 「現れよ、汝の奥に仕舞われた記憶よ。語れ、汝の心に飛び交う思いよ。我は受け入れよう、《読み取り》て全てを受け入れよう」 後半部分は繰り返して詠唱された。語りかけるような甘美な響きと共に、ガナンの頭にそえられた手から光が発せられる。そのぼんやりとした光に、ガナンの頭には《セディビート》を手に入れた時の記憶が次々に蘇る。 計画への誘い、主任を裏切る事への苦しみ、将来への憂い、決心、何度となく秘密裏に開かれた会議、主任の目を盗みながらの作業。 そして、ディオスカス直々の呼び出し、“力”を持つことの利点の説明と、了承の確認。目隠し。暗闇の中での会話。知らない声。ウォンリルグの技術。その一族が。烙印魔法。バレはしない。あくまで保険。やられたら終わり。耳もとで囁かれる声。暗黙が“力”の代償。 激痛、そして暗転。 試験使用。現れた《セディビート》。目の前を覆い尽くした炎。快感。“力”を得たことで生まれた周りに対する優越感。なかなか進まなくなった魔導レーサーの開発。計画が狂うことへの恐れ。焦り。主任の休暇。帰還後の主任の張り切り。はかどる開発。ほぼ完成。 そこで、コーダが手を離し、フラッシュバックは終了する。《読み取り》は術者に精神的疲労を強いるのか、コーダもガナンと同じく顔面に汗を浮かばせて大きく息を付く。 「これで、喋ったことにはならん」コーダはそう言って、今度はガナンの腕をとって続けた。「このままだとお前は死ぬ。その前に刺青を消すぞ」 頷くこともせず、呆然とコーダを見ているガナンをよそに、彼は刺青の端に手をかけると、呪文を唱えはじめた。 「汝に刻まれし業よ、痛みと共に消え去れ。汝を縛る《烙印との別れ》によりて」 詠唱を終えると、コーダは光を帯びた手で刺青を撫でるように手を動かした。 とたんに、刺青の部分が熱を帯びはじめ、間もなく激痛に変わる。 「く……あぁっ!」 「我慢しろ。これしか方法がない」 痛みにガナンが暴れようとするのを、コーダが必死で押さえ付けた。このまま暴れさせておくと、どこかにぶつけて大きな怪我に繋がる恐れがあるからだろう。口調は戦闘の時と変わらず淡々としたものだが、ガナン自身に対し、悪い感情は抱いていないようだ。 ガナンの体を襲う激痛は数十分も続いた。実際はもっと短かったのかもしれない、苦境では時の流れは遅くなる。一応の問題が解決されたのか、コーダは自分のカラダを押さえ付けていた腕を離すと、すっくと立ち上がった。 朦朧としているガナンの視界の中で、彼はくるりと踵を返し、運搬サソリの方に歩いて行く。その時見えた背中に、ガナンは思わず声を漏らしかけた。 その背中には、サソリを象ったものと思われる刺青が施されていた。 コーダは焼けて穴が空いてしまったものの、取りあえず火は消え、焼けたところの熱も引いたらしい上着を着直すと、《シッカーリド》の御者席につく。 そしてしばらく、そのままぼうっ、と前方を見つめていたが、やがて目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をすると、《シッカーリド》をエンペルファータ方面に向けた。 「……帰りやしょうか」 それが正しいのかは分からない。間違っているとしても、童顔が悩みの青年魔導士はきっと自分を笑顔で迎えてくれるだろう。 何より、コーダは彼等の元に帰りたかった。 |
![]() |
![]() |
![]() |
|||
Copyright 2003 想 詩拓 all rights reserved.
|
|||||